猿蟹合戦 [新訳版]

パブリックドメイン小説

作品データ

作品名:猿蟹合戦
作品名読み:さるかにがっせん
著者名:芥川 龍之介
初出:「婦人公論」1923(大正12)年3月
原作:青空文庫『猿蟹合戦』

本の難易度:★★★☆☆
読了目安時間:10分

本文

本作品は原作を読みやすいように改編したものになります。

猿蟹合戦

蟹《かに》の握り飯を奪った猿《さる》は、ついに蟹に仇《かたき》を取られました。蟹は臼《うす》、蜂《はち》、卵と一緒に、怨敵《おんてき》の猿を殺したのです。でもその話は今さらする必要はありません。ただ、猿を仕留めた後《のち》、蟹たちがどうなったか、それを話すことは必要です。なぜなら、お伽話《とぎばなし》はこのことについて全然話していないからです。

いや、話していないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土間《どま》の隅に、蜂は軒先《のきさき》の蜂の巣に、卵は籾殻《もみがら》の箱の中に、平和で問題のない生涯を送ったかのように見せかけています。

しかし、それは偽《いつわ》りです。彼らは仇《かたき》を取った後、警官に捕まって、みんな監獄《かんごく》に入れられました。そして裁判《さいばん》を重ねた結果、主犯《しゅはん》の蟹は死刑になり、臼、蜂、卵たちの共犯者は無期徒刑の宣告を受けました。お伽話しか知らない読者は、彼らの運命を聞いてびっくりするかもしれませんが、これは事実です。ほんの少しも疑う余地のない事実です。

蟹《かに》は自分の話によれば、握り飯と柿《かき》を交換したそうです。でも、猿《さる》は熟柿《じゅくし》をくれず、青柿《あおがき》だけを渡しただけでなく、蟹にケガをさせるようにその柿をたくさん投げつけたと言います。しかし、蟹は猿との間で何の証拠も取り交わしていません。たとえそれを置いておいても、握り飯と柿を交換したと言っていますが、熟柿とは特に言っていません。最後に青柿を投げつけられたというのも、猿に悪意があったかどうか、その証拠は不十分です。だから、蟹の弁護をした有名な弁護士も、裁判官の同情を求めることしかできなかったようです。その弁護士は、気の毒そうに蟹の泡を拭いてやりながら、「あきらめなさい」と言ったそうです。この「あきらめなさい」は、死刑を受け入れろと言ったのか、弁護士に多額の費用を払ったことをあきらめろと言ったのか、誰にも分かりません。

その上、新聞や雑誌の意見も、蟹に同情するものはほとんどありませんでした。蟹が猿を殺したのは、個人的な怒りの結果にすぎません。その怒りも、自分の無知と軽率さで猿に利用されたことを悔しがっただけではないでしょうか? 競争の激しい世の中でこういう個人的な怒りを表すのは、愚か者か狂った者だけです。——という批判が多かったようです。実際に、商業会議所の会頭であるある男爵《だんしゃく》は、上のような意見と共に、蟹が猿を殺したのも多少は当時の危険な思想に影響されたのだろうと論じました。そのためか、蟹の仇打《かたきう》ち以来、その男爵は勇敢な者たちに加えて、ブルドッグを十頭も飼ったそうです。

また、蟹《かに》の仇打《かたきう》ちは、いわゆる賢い人たちの間でも全く評判が良くありませんでした。ある大学教授である博士《はかせ》は、倫理学の観点から、蟹が猿《さる》を殺したのは復讐《ふくしゅう》の意志によるものであり、復讐は良いこととは言えないと述べました。それから社会主義のリーダーであるある人物は、蟹は柿《かき》や握り飯という私有財産を大事にしていたため、臼《うす》や蜂《はち》や卵も反動的な考えを持っていたのでしょう。もしかしたら、背後で支援していたのは国粋会《こくすいかい》かもしれないとも言いました。

さらに、ある宗教のリーダーである師は、蟹は仏の慈悲《じひ》を知らなかったようだと言いました。たとえ青柿《あおがき》を投げつけられたとしても、仏の慈悲を知っていれば、猿の行いを憎む代わりに、むしろそれを憐れんだでしょう。ああ、思えば一度でも良いから、自分の説教を聞かせたかったと話しました。

また、いろいろな分野の有名人たちも蟹の仇打ちについて批判しましたが、誰も蟹の行為に賛成する人はいませんでした。その中でたった一人、蟹のために声を上げたのは、酒豪《しゅごう》であり詩人でもあるある代議士でした。代議士は蟹の仇打ちは武士道の精神と一致すると言いました。しかし、このような時代遅れの意見は誰の耳にも入らなかったようです。それどころか、新聞のゴシップによると、その代議士は数年前に動物園を見学中に猿に尿《にょう》をかけられたことを恨んでいたという話もありました。

お伽話《とぎばなし》しか知らない読者は、悲しい蟹《かに》の運命に同情の涙を流すかもしれません。しかし、蟹の死は当然のことです。それをかわいそうに思うのは、女性や子供の感傷的な考えに過ぎません。世間は蟹の死を当然のこととしました。実際に、死刑が行われた夜、判事《はんじ》、検事《けんじ》、弁護士、看守《かんしゅ》、死刑執行人、教誨師《きょうかいし》などは、48時間ぐっすり眠ったそうです。そして、みんな夢の中で天国の門を見たそうです。天国は彼らの話によると、封建時代の城に似たデパートのようでした。

ついでに、蟹が死んだ後、蟹の家族がどうなったかも少し書いておきたいと思います。蟹の妻は売笑婦《ばいしょうふ》になりました。その理由が貧困のためか、彼女自身の性格のためかはまだはっきりしていません。蟹の長男は父親が亡くなった後、「心を入れ替えた」と新聞や雑誌では言われています。今は株屋の番頭か何かをしているそうです。この蟹はある時、自分の穴に同類の蟹を引きずり込んで食べたことがあります。クロポトキンが相互扶助論《そうごふじょろん》の中で、蟹も同類を助けると例に挙げたのはこの蟹のことです。

次男の蟹は小説家になりました。もちろん小説家なので、女に惚《ほ》れること以外は何もしません。ただ、父蟹の一生を例に挙げて、「善は悪の異名《いみょう》である」などと適当な皮肉を並べています。三男の蟹は愚か者だったので、蟹以外のものにはなれませんでした。彼が横這《よこば》いに歩いていると、握り飯が一つ落ちていました。握り飯は彼の好物でした。彼は大きな鋏《はさみ》の先にその獲物《えもの》を拾い上げました。すると、高い柿の木の梢《こずえ》で虱《しらみ》を取っていた猿が一匹いましたが、その先は話す必要はないでしょう。

とにかく、猿と戦った蟹は必ず世の中のために殺されるのが事実です。この話を世の中の読者に伝えます。君たちも、多くは蟹なんですよ。

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