作品データ
作品名:地獄変
作品名読み: じごくへん
著者名: 芥川 龍之介
初出:1918(大正7)年7月8日
原作:青空文庫『地獄変』
本の難易度:★★★★☆
読了目安時間:30分
本文
本作品は原作を読みやすいように改編したものになります。
地獄変
一. 堀川の大殿様
堀川の大殿様《おおとのさま》のような方は、昔から現在まで、そして未来にも、二人とはいらっしゃらないでしょう。噂によると、大殿様が生まれる前に、大威徳明王《だいいとくみょうおう》が御母君《おんははぎみ》の夢枕に立ったと言われています。それだけ生まれながらにして、普通の人とは違っていたのです。そのため、大殿様が行ったことには、驚くべきことが一つもありません。例えば、堀川の邸宅の規模を見ても、壮大で豪放で、私たちの凡庸な考えでは到底及ばないような思い切ったところがあります。中には、大殿様の性行を始皇帝《しこうてい》や煬帝《ようだい》に例える人もいますが、それは諺《ことわざ》にある「群盲《ぐんもう》の象を撫《な》でる」に似たものです。大殿様の思いは、決して自分だけが栄耀栄華を楽しもうというものではなく、もっと下々の人々まで考え、天下と共に楽しむという大きな器量を持っていたのです。
そのため、二条大宮の百鬼夜行《ひゃっきやぎょう》に遭遇しても、特に問題なく過ごせました。また、陸奥《みちのく》の塩竈《しおがま》の景色を写したことで有名な東三条の河原院に、夜な夜な現れると言われた融《とおる》の左大臣の霊でさえ、大殿様のお叱りを受けて姿を消したに違いありません。このような威光を持っていたため、当時の洛中の老若男女は、大殿様をまるで権者《ごんじゃ》の再来のように尊敬しました。それは決して不自然なことではありません。あるとき、梅花の宴からの帰りに御車の牛が放れ、通りかかった老人に怪我をさせましたが、その老人は手を合わせて、大殿様の牛にかけられたことをありがたく思ったと言います。
このような次第で、大殿様の生涯には後々まで語り継がれる出来事がたくさんありました。大饗《おおみうけ》の引出物に白馬《あおうま》を三十頭も贈られたことや、長良《ながら》の橋の橋柱《はしばしら》に御寵愛の童《わらべ》を立てたこと、華陀《かだ》の術を伝えた震旦《しんたん》の僧に御腿《おんもも》の瘡《もがさ》を切らせたことなど、数えきれません。しかし、その多くの逸話の中でも、今では家の重宝となっている地獄変の屏風の由来ほど恐ろしい話はありません。普段は物事に驚かない大殿様でさえ、その時ばかりはさすがに驚かれました。ましてや私たち側近は、魂が消えそうなほど怖かったのです。特に私は、大殿様に二十年仕えていましたが、あのような恐ろしい光景に出会ったことは他にありませんでした。
しかし、その話をする前に、まず地獄変の屏風を描いた良秀《よしひで》という画師について説明しておく必要があります。
二. 良秀という画師
良秀といえば、今でもあの男のことを覚えている方がいるかもしれません。当時、絵筆を取る者の中で良秀の右に出る者はいないとまで言われたほど、高名な絵師でした。あの時のことがあった時には、彼ももう五十歳近くになっていたでしょう。見た目はただ背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪そうな老人でした。それが大殿様の邸宅に参る時には、よく丁字染《ちょうじぞめ》の狩衣《かりぎぬ》に揉烏帽子《もみえぼし》をかぶっていましたが、人柄は非常に卑しいもので、唇が目立って赤いのがさらに気味悪く、獣のような印象を与えました。中には、「あれは画筆を舐《な》めるので紅がつくのだ」と言う人もいましたが、どういうことかはわかりません。さらに口の悪い人たちは、良秀の立ち居振る舞いが猿のようだと言い、「猿秀」とあだ名をつけたこともありました。
いや、猿秀と言えば、こんな話もあります。当時、大殿様の邸宅には、十五歳になる良秀の一人娘が小女房《こにょうぼう》として仕えていましたが、彼女は生みの親に似ず、愛嬌のある娘でした。その上、早くに母親と別れたせいか、思いやりが深く、年の割にはませた利口な子で、何かとよく気がつくため、御台様《みだいさま》を始め他の女房たちにも可愛がられていました。
ある日、丹波の国から人懐こい猿が一匹献上され、その猿に悪戯盛りの若殿様が「良秀」と名付けました。その猿の様子が滑稽だったこともあり、邸宅中の誰もが笑い、さらに面白半分で皆がその猿をいじめたのです。やれ庭の松に上っただの、やれ曹司《そうし》の畳を汚しただのと、そのたびに「良秀、良秀」と呼び立てました。
ある日のこと、良秀の娘が手紙を結んだ寒紅梅の枝を持って長い廊下を通りかかると、遠くの遣戸《やりど》の向こうから例の小猿の良秀が足を挫《くじ》いたのか、いつものように柱に駆け上がる元気もなく、びっこを引いて逃げてきました。その後ろからは、若殿様が「柑子《こうじ》盗人《ぬすびと》め、待て。待て」と言いながら追いかけていました。良秀の娘はこれを見て一瞬ためらいましたが、逃げてきた猿が袴の裾にすがり、哀れな声で泣き立てると、急にその猿が可哀そうに思えて仕方なくなりました。片手に梅の枝を持ちながら、もう片手に紫匂《むらさきにおい》の袿《うちぎ》の袖を軽く開き、その猿を抱き上げて、若殿様の前に小腰をかがめて「恐れながら、この畜生をどうかお許しください」と涼しい声で言いました。
しかし、若殿様は気負って駆けてきたため、むずかしい顔をして二三度足を踏み鳴らしながら「何でかばう。その猿は柑子盗人だぞ」と言いました。 「畜生ですから……」と、娘はもう一度繰り返し、寂しそうに微笑んで、 「それに良秀という名前ですので、父が御折檻《ごせっかん》を受けるかもしれません。どうかただ見ているだけではいられません」と言いました。これにはさすがの若殿様も、自分を折られたのでしょう。 「そうか。父親の命乞いならば、枉《ま》げて赦《ゆる》してやろう」と不承不承に言い、楚《すばえ》を捨てて、元の遣戸の方へ戻ってしまいました。
三. 良秀の娘と小猿との仲
良秀の娘とこの小猿が仲良くなったのは、それからのことです。娘は御姫様から頂戴した黄金の鈴を美しい真紅《しんく》の紐に下げて猿の首に掛けてやり、猿はどんなことがあっても娘のそばを離れませんでした。ある時、娘が風邪で寝込んだ時も、小猿は枕元に座り込み、心細そうに頻り《しき》に爪を噛んでいました。
こうなると妙なもので、誰もこの小猿をいじめなくなり、反対に可愛がるようになりました。しまいには若殿様でさえ、時々柿や栗を投げて与えるようになり、侍の誰かがこの猿を足蹴《あしげ》にした時は、大層ご立腹なさったそうです。その後、大殿様がわざわざ良秀の娘に猿を抱いて御前に出るようにお命じになったのも、若殿様のご立腹の話を聞いてからだそうです。
「孝行な奴だ。褒めてやろう。」
こうしたご意向で、娘はその時、紅《くれない》の袙《あこめ》を御褒美に頂きました。この袙をまた見よう見まねで猿が恭しく押し頂いたので、大殿様のご機嫌は一段と良かったそうです。大殿様が良秀の娘をひいきにしたのは、この猿を可愛がった孝行の情を賞賛したのであって、決して世間で言われるような色好みのためではありません。このような噂が立ったのも無理のないことですが、それはまた後で詳しくお話ししましょう。ここではただ、大殿様が絵師の娘などに思いをかける方ではないということを申し上げておけば十分でしょう。
さて、良秀の娘は面目を施して御前を下がりましたが、元々賢い娘であったため、他の女房たちの妬みを受けることはありませんでした。反対にそれ以来、猿と一緒に可愛がられ、特に御姫様の側を離れることはなく、物見車の御供にも欠かさず付き従っていました。
さて、娘の話はここまでにして、また良秀の話に戻りましょう。確かに猿の方は皆に可愛がられるようになりましたが、肝心の良秀は依然として誰からも嫌われ、陰で「猿秀」と呼ばれていました。それも邸の中だけでなく、横川《よがわ》の僧都様でさえ、良秀を嫌って顔色を変えました。(これは良秀が僧都様の行状を戯画《ざれえ》に描いたからだと言われていますが、確かなことはわかりません。)とにかく、良秀の評判はどこへ行っても悪いものでした。もし良秀を悪く言わない者がいるとすれば、それは二三人の絵師仲間か、良秀の絵を知っているだけで人間性を知らない者ばかりです。
しかし実際、良秀には見た目が卑しいだけでなく、人に嫌われる悪い癖があり、それも全く自業自得というほかありません。
四. 良秀の癖と高慢さ
良秀には、吝嗇《りんしょく》、慳貪《けんどん》、恥知らず、怠けもの、強慾といった癖がありました。中でも特に甚だしいのは、横柄で高慢で、いつも「本朝第一の絵師」と自負していたことです。これが画道だけならまだしも、世間の習慣や慣例などもすべて馬鹿にしていました。ある日、良秀の弟子が語った話によると、ある邸宅で名高い檜垣《ひがき》の巫女《みこ》に御霊《ごりょう》が憑いて恐ろしい御託宣があった時も、良秀は空耳《そらみみ》を働かせ、筆と墨でその巫女の物凄い顔を写していたそうです。良秀にとっては、御霊の祟りも子供騙し程度にしか思われなかったのでしょう。
そのため、良秀は吉祥天を描く際に卑しい傀儡《くぐつ》の顔を写したり、不動明王を描く際に無頼《ぶらい》の放免《ほうめん》の姿を模したりと、いろいろ勿体ない真似をしました。しかし、彼を責めると、「良秀が描いた神仏が、その良秀に冥罰《みょうばつ》を与えるとは、おかしな話だ」と空嘯《そらうそぶ》いていました。弟子たちも呆れ返り、未来の恐ろしさに暇を取った者も少なくありませんでした。とにかく、良秀は自分が天下で一番偉いと思っていたのです。
良秀がどれほど高慢だったかは言うまでもありません。彼の絵は筆使いも彩色も他の絵師とは違い、仲の悪い絵師仲間からは「山師」と評されていました。昔の名匠の絵には優美な噂が立ちますが、良秀の絵には気味の悪い評判しかありません。例えば、彼が龍蓋寺《りゅうがいじ》の門に描いた五趣生死《ごしゅしょうじ》の絵では、夜更けに門の下を通ると天人のため息やすすり泣きが聞こえたと言います。また、大殿様の命で描いた女房たちの似絵《にせえ》では、その絵に写された人が三年も経たずに魂が抜けたような病気になって死んだとも言われています。悪く言う者には、これが良秀の絵の邪道に落ちている証拠だとされました。
しかし、良秀は横紙破りな男でしたので、それを大自慢していました。ある時、大殿様が「その方はとにかく醜いものが好きなようだ」と冗談で仰った時も、良秀は赤い唇でにやりと笑い、「さようでございます。絵師には総じて醜いものの美しさなど理解できません」と横柄に答えました。本朝第一の絵師であろうとも、大殿様の前でそのような高言を吐けるとは驚きです。弟子たちは内々に「智羅永寿《ちらえいじゅ》」とあだ名をつけて増長慢を揶揄していましたが、それも無理はありません。「智羅永寿」とは昔、震旦から渡ってきた天狗の名です。
しかし、そんな良秀にも、一つだけ人間らしい情愛のある部分がありました。
五. 良秀の娘への愛情
良秀が、一人娘の小女房をまるで気違いのように可愛がっていたことは有名です。娘も優しく親思いの女でしたが、良秀の子煩悩《こぼんなう》はそれに劣らないものでした。娘の着る物や髪飾りに関しては、どこのお寺の勧進にも寄付しないあの良秀が、金銭を惜しまずに整えてやるというのですから、嘘のような話です。
しかし、良秀が娘を可愛がるのはただ可愛がるだけで、よい聟を取ろうなどとは夢にも思っていませんでした。それどころか、娘に悪く言い寄る者がいれば、辻冠者《つじくわんじゃ》ばらでも集めて暗打《やみうち》するくらいの覚悟でした。ですから、娘が大殿様の声がかりで小女房に上がった時も、良秀は大変不服で、当初は御前に出ても苦い顔をしていました。大殿様が娘の美しさに心を惹かれ、親の反対を押し切って召し上げたという噂は、おそらくこの様子を見た人々の当て推量から出たものでしょう。
その噂は嘘であっても、良秀が娘の下るように祈っていたのは確かです。ある時、大殿様の命で稚児文殊《ちごもんじゅ》を描いた際も、御寵愛の童《わらべ》の顔を写して見事な出来栄えとなり、大殿様は大変満足して「褒美には望みの物を取らせるぞ。遠慮なく望め」と仰せになりました。すると良秀は畏まって、「何卒私の娘を御下げ下さいまするように」と臆面もなく申し上げました。他の邸ならともかく、堀河の大殿様の側に仕えているのを、いかに可愛いからといっても、こんな無礼な願いを言う者が他にいるでしょうか。これには大殿様も少し機嫌を損じたようで、しばらく黙って良秀の顔を眺めておられましたが、やがて「それはならぬ」と吐き出すように言い、急にそのまま立ち去ってしまいました。
このようなことが四、五回もあったでしょうか。今思えば、大殿様の良秀を見る眼は、その都度冷やかになっていったようです。娘の方も父親の身を案じて、曹司《そうし》に下っている時など、よく袿《うちぎ》の袖を噛んで泣いていました。そこで大殿様が良秀の娘に心を寄せたという噂が広まったのでしょう。中には地獄変の屏風の由来も、実は娘が大殿様の意に従わなかったからだという人もいますが、そんなことはあるはずがありません。
私たちから見ると、大殿様が良秀の娘を御下げにならなかったのは、娘の身を哀れに思われたからで、あの頑固な親の元に返すよりは邸に置いて不自由なく暮らさせようというお考えだったのでしょう。気立ての優しいあの娘をひいきにされたのは間違いありませんが、色を好まれたというのは牽強附会《けんきょうふかい》の説で、むしろ根も葉もない嘘でしょう。
それはさておき、娘のことで良秀の評価が悪くなってきた時、大殿様は突然良秀を召して、地獄変の屏風を描くように命じられました。
六. 地獄変の屏風
地獄変の屏風と聞くと、あの恐ろしい画面の景色がありありと目の前に浮かぶような気がします。良秀が描いた地獄変は、他の絵師のものとは全く異なっていました。一帖の屏風の片隅に小さく十王とその眷属《けんぞく》たちの姿を描き、残りの一面は紅蓮《ぐれん》、大紅蓮《だいぐれん》の猛火が渦を巻いていました。唐風の冥官《めいかん》たちの衣装が黄や藍を点々と飾っている以外は、どこを見ても烈々とした火焔の色で、その中をまるで卍のように、黒煙と金粉を煽った火の粉が舞い狂っていました。
これだけでも十分に人を驚かす筆勢ですが、その上に業火《ごうか》に焼かれて苦しむ罪人たちが、ほとんど普通の地獄絵には見られない様相を呈していました。何故かというと、良秀はこの多くの罪人の中に、上は貴族から下は乞食非人まで、あらゆる身分の人々を描いたからです。束帯のいかめしい殿上人《てんじょうびと》、五つ衣《いつつぎぬ》のなまめかしい青女房、珠数をかけた念仏僧、高足駄を履いた侍学生《さむらいがくしょう》、細長《ほそなが》を着た童女、幣《みてぐら》を掲げた陰陽師《おんみょうじ》など、一々数え上げればきりがありません。これらの人々が、火と煙の中を牛頭《ごず》馬頭《めず》の獄卒に苛まれ、大風に吹き散らされる落葉のように四方八方へ逃げ迷っているのです。
鋼叉《さすまた》に髪を絡め取られて、蜘蛛のように手足を縮めている女は、神巫《かんなぎ》の類でしょうか。手矛《てほこ》に胸を刺し通されて、蝙蝠《こうもり》のように逆さになっている男は、生受領《なまずりょう》か何かでしょうか。他にも鉄の笞《むち》に打たれる者、千曳《ちびき》の磐石《ばんじゃく》に押される者、怪鳥の嘴《くちばし》に引っかけられる者、毒龍の顎《あぎと》に噛まれる者など、罪人の数に応じて様々な責め苦が描かれています。
中でも特に凄まじく目立つのは、獣の牙のような刀樹の頂きを半ばかすめて中空から落ちてくる一輛の牛車です。地獄の風に吹き上げられたその車の簾《すだれ》の中には、女御《にょうご》、更衣《こうい》にも匹敵するほど綺羅《きら》びやかに装った女房が、丈の長い黒髪を炎の中になびかせ、白い頸《くび》を反らせながら悶え苦しんでいます。その姿と燃え上がる牛車は、炎熱地獄の責め苦を如実に表しており、広い画面の恐ろしさがこの一人の人物に集約されていると言えるでしょう。見る者の耳には自然と物凄い叫喚の声が響いてくるかのような、入神の出来栄えでした。
ああ、これです、これを描くためにあの恐ろしい出来事が起こったのです。さもなければ、いかに良秀でも、どうしてこれほど生々しく奈落の苦艱《くげん》を描けたでしょうか。良秀はこの屏風を完成させるために、自らの命さえも捨てるような無惨な目に遭いました。この絵の地獄は、本朝第一の絵師良秀が、いつか自分が墜ちて行く地獄だったのです。
あの珍しい地獄変の屏風について語るあまり、話の順序が前後してしまったかもしれません。ここからは再び、大殿様から地獄絵を描けと命じられた良秀の話に戻りましょう。
七. 良秀の仕事と夢中になる姿
良秀はそれから五、六ヶ月の間、御邸にも伺わず、屏風の絵に専念していました。あれほどの子煩悩が、絵を描くとなると娘の顔を見る気もなくなるというのは不思議なことです。弟子の話によれば、良秀は一旦仕事に取り掛かるとまるで狐が憑いたようになると言われています。実際、当時の風評では、良秀が画道で名を成したのは福徳の大神《おおかみ》に祈誓《きせい》をかけたからで、その証拠に、良秀が絵を描いている所を物陰から覗くと、霊狐が一匹ならず前後左右に群れているのが見えると言う者もいたほどです。そのため、いざ画筆を取るとなると、他のことは全て忘れてしまうのでしょう。昼も夜も一間に閉じこもり、滅多に日の目を見ることはありませんでした。特に地獄変の屏風を描いていた時は、この夢中になり方が甚だしかったようです。
良秀が夢中になるとは、秘密の絵の具を調合したり、弟子たちに様々な衣装を着せてその姿を一人ずつ丁寧に写したりすることではありません。それくらいのことは、地獄変の屏風を描かなくても、良秀が仕事にかかっている時には常にやっていたことです。実際、龍蓋寺《りゅうがいじ》の五趣生死《ごしゅしょうじ》の図を描いた時などは、誰もが目をそらすような往来の屍骸の前に悠々と腰を下ろし、半ば腐りかけた顔や手足を髪の毛一本違わずに写していました。
良秀の夢中になる様子をもっと詳しく説明しましょう。ある日、弟子の一人が絵の具を溶いていると、良秀が急にやって来て、「少し午睡《ひるね》をしようと思うが、最近は夢見が悪い」と言いました。弟子は手を休めずに、「さようでございますか」と挨拶をしました。すると良秀は寂しそうな顔をして、「午睡の間、枕元に座っていてほしい」と遠慮がちに頼みました。弟子は師匠が夢を気にするのが不思議に思いましたが、「よろしゅうございます」と答えました。師匠はさらに心配そうに、「奥の部屋に来てくれ。他の弟子が来ても、自分の寝ている所には入れないように」と指示しました。
奥の部屋とは、良秀が絵を描く部屋で、その日も夜のように戸を閉め切り、ぼんやりと灯りをともして、まだ焼筆《やきふで》で図取りだけしかできていない屏風がぐるりと立てられていました。弟子が部屋に入ると、良秀は肘を枕にして、疲れ切った人間のようにすやすやと眠り始めました。しかし、ものの半時と経たないうちに、枕元にいる弟子の耳には、何とも言いようのない気味の悪い声が聞こえ始めました。
八. 良秀の奇怪な行動
それが始めはただの声でしたが、しばらくすると、次第に途切れ途切れの言葉になって、まるで溺れかけた人間が水の中で呻《うめ》くように、こういうことを言うのでした。
「なに、俺に来いと言うのか。——どこへ——どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。——誰だ。そう言う貴様は。——貴様は誰だ——誰だと思ったら」
弟子は思わず絵の具を溶く手を止めて、恐る恐る師匠の顔を覗き込みました。皺だらけの顔が白くなり、大粒の汗を滲ませながら、乾いた唇と歯の疎らな口を喘ぐように大きく開けています。その口の中で何かが目まぐるしく動いているのを見て、あれが良秀の舌だと気づいた時には驚きました。切れ切れの言葉はその舌から出ているのです。
「誰だと思ったら——うん、貴様だな。俺も貴様だろうと思っていた。なに、迎えに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には——奈落には俺の娘が待っている。」
その時、弟子の目には、朦朧とした異形《いぎょう》の影が屏風の面をかすめてむらむらと降りてくるように見えました。もちろん弟子はすぐに良秀に手をかけて、力の限り揺り起こしましたが、良秀はなおも夢うつつに独り言を続けて、なかなか目を覚ます気配がありません。そこで弟子は思い切って、側にあった筆洗の水をざぶりと顔に浴びせました。
「待っているから、この車に乗って来い——この車に乗って、奈落へ来い——」という言葉がそれと同時に、喉を締められるような呻き声に変わりました。良秀はようやく目を開き、針で刺されたように急に跳ね起きましたが、まだ夢の中の異類《いるい》異形《いぎょう》が瞼の裏に残っているのでしょう。しばらくは恐ろしげな目つきをして、大きく口を開けながら空を見つめていましたが、やがて我に返った様子で、「もういいから、あちらへ行ってくれ」と素っ気なく言いました。弟子はこういう時に逆らうといつも怒鳴られるので、すぐに師匠の部屋から出ましたが、外の日の光を見た時には、まるで悪夢から覚めたような気がしました。
しかしこれだけではまだ良い方で、その後一ヶ月ほど経ってから、今度はまた別の弟子が奥へ呼ばれました。良秀はやはり薄暗い油火の光の中で絵筆を噛んでいましたが、いきなり弟子の方を向いて、「御苦労だが、また裸になってもらおうか」と言いました。これは以前にも時折命じられたことなので、弟子は早速衣類を脱ぎ捨てて赤裸《あかはだか》になると、良秀は妙に顔をしかめながら、「私は鎖で縛られた人間が見たいのだが、気の毒でも暫くの間、私のする通りになっていてくれまいか」と冷然と頼みました。この弟子は元々画筆よりも太刀を持つ方が向いているような逞しい若者でしたが、これには驚いたようで、その時の話を後々までも語り、「師匠が気が違って、私を殺すのではないかと思いました」と繰り返して言っていました。
しかし良秀の方では、弟子が愚図々《ぐずぐず》しているのがじれったくなったのでしょう。どこから取り出したか、細い鉄の鎖をざらざらと手繰り寄せながら、飛びつくような勢いで弟子の背中に乗りかかり、否応なしに両腕を捻り上げてぐるぐる巻きにしてしまいました。そしてその鎖の端をぐいと引いたので、弟子ははずみを食って勢いよく床を鳴らしながら横倒しになってしまいました。
九. 良秀の異常な行動
その時の弟子の様子は、まるで酒甕を転がしたようでした。手足が惨《むご》たらしく折り曲げられているため、動かせるのは首だけです。さらに、肥えた体中の血が鎖で循環を止められたため、顔も胴も一面に赤みを帯びていました。しかし、良秀はそれを気にもせず、その酒甕のような体の周りをあちこちと回りながら、同じような写真の図を何枚も描いていました。その間、縛られた弟子がどれほど苦しかったかは言うまでもありません。
もし何事も起こらなければ、この苦しみはさらに続けられたでしょう。しかし、しばらくすると、部屋の隅にある壺の陰から、まるで黒い油のようなものが一筋細くうねりながら流れ出てきました。それが初めは非常にゆっくり動いていましたが、次第に滑らかに、そして光りながら鼻の先まで流れ着いたのです。弟子は息を呑み、「蛇が——蛇が」と叫びました。その時、体中の血が一時に凍るかと思ったといいます。蛇は鎖が食い込んでいる首の肉に冷たい舌を触れようとしていたのです。
この思いもよらない出来事には、いくら横道な良秀でもぎょっとしたのでしょう。慌てて画筆を投げ捨て、瞬時に身をかがめて蛇の尾をつかみ、ぶらりと逆に吊り下げました。蛇は吊り下げられながらも、頭を上げて自分の体に巻きつこうとしましたが、どうしても良秀の手には届きません。
「このせいで、一筆を失敗したぞ。」
良秀は忌々しそうに呟くと、蛇をそのまま部屋の隅の壺に放り込み、不承不承《ふしょうぶしょう》に弟子の体にかかっている鎖を解きました。ただ解いただけで、肝心の弟子には優しい言葉一つかけません。恐らく、弟子が蛇に噛まれるよりも、写真の一筆を誤ったことの方が彼には重大だったのでしょう。後で聞くと、この蛇も姿を写すためにわざわざ良秀が飼っていたものでした。
この話を聞いただけでも、良秀の気違いじみた、薄気味悪い夢中になり方が理解できたでしょう。しかし、最後にもう一つ、今度はまだ十三四歳の弟子が、地獄変の屏風のために命の危険にさらされる恐ろしい目に遭いました。その弟子は生まれつき色白で女性のような顔立ちでしたが、ある夜、何気なく師匠の部屋に呼ばれると、良秀は燈台の火の下で掌《てのひら》に腥《なまぐさ》い肉を乗せながら、見慣れない一羽の鳥を養っていました。その鳥は大きさが猫ほどあり、耳のように両側に突き出た羽毛や、琥珀のような色をした大きな丸い目をしており、どことなく猫に似ていました。
十. 良秀の異様な振る舞い
元々良秀という男は、自分のしていることに他人が口出しするのを非常に嫌っていました。先程申し上げた蛇のこともそうですが、自分の部屋に何があるのか、弟子たちにも一切知らせていませんでした。そのため、時には机の上に髑髏《されこうべ》が置いてあったり、銀の椀や蒔絵の高坏《たかつき》が並んでいたりと、その時描いている絵に応じて思いもよらない物が出てきました。普段はそのような品を一体どこにしまっているのか、誰にもわからなかったのです。良秀が福徳の大神の冥助を受けているという噂も、こうしたことが一因となっていたのでしょう。
弟子は、机の上に置かれたその異様な鳥も地獄変の屏風を描くために必要なものだと思い、師匠の前で畏まって「何かご用でございますか」と恭しく尋ねました。すると、良秀はまるでそれが聞こえないかのように赤い唇を舐め、「どうだ。よく馴れているではないか」と鳥の方に顎をやりました。
「これは何というものでございましょう。私はまだ見たことがありませんが。」
弟子はそう言いながら、耳のある猫のような鳥を気味悪そうに眺めました。良秀はいつもの嘲笑うような調子で、「何、見たことがない? 都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の猟師がくれた耳木兎《みみずく》という鳥だ。ただ、こんなに馴れているのは少ない。」と言いました。そう言いながら良秀は、ゆっくりと手を上げて耳木兎の背中の毛をそっと下から撫でました。するとその途端、鳥は鋭い声で一声鳴き、忽ち机の上から飛び上がり、いきなり弟子の顔に飛びかかりました。弟子が袖をかざして慌てて顔を隠さなかったなら、きっともう一つや二つの傷は負っていたでしょう。弟子は「あっ」と叫びながら袖を振って鳥を追い払おうとしましたが、耳木兎は再び襲いかかりました。弟子は師匠の前も忘れて、立っては防ぎ、座っては逃げ回り、狭い部屋の中をあちこちと逃げ惑いました。怪鳥もそれに応じて、高く低く飛びながら、隙あらば眼を狙って飛んできました。その度に翼をばさばさと鳴らし、その音は落葉の匂いや滝の水しぶき、あるいは猿酒の酸えた匂いを漂わせ、気味の悪さは言葉にできません。弟子は薄暗い油火の光さえ朧《おぼろ》な月明かりかと思い、師匠の部屋がまるで遠い山奥の妖気に閉ざされた谷のように感じたと言っていました。
しかし、弟子が恐れたのは耳木兎に襲われることだけではありません。それよりも一層身の毛がよだつたのは、良秀がその騒ぎを冷然と眺めながら、徐に紙を広げ、筆を舐め、女のような少年が異形な鳥に虐《さいな》まれる様子を描いていたことでした。弟子はそれを一目見ると、言いようのない恐ろしさに脅《おびや》かされ、実際、師匠に殺されるのではないかと思ったと語っています。
十一. 良秀の危険な振る舞い
実際、師匠に殺されるということも全くないとは言えません。現にその晩、わざわざ弟子を呼び寄せたのも、実は耳木兎《みみずく》を唆《けし》かけて弟子の逃げ回る様子を写そうという魂胆だったのです。ですから、弟子は師匠の様子を一目見ると、思わず両袖に頭を隠しながら、自分でも何を言ったかわからないような悲鳴を上げ、そのまま部屋の隅の遣戸《やりど》の裾へ縮こまってしまいました。その拍子に、良秀も何やら慌てたような声を上げて立ち上がったようでしたが、耳木兎の羽音が一層激しくなり、物が倒れる音や破れる音がけたたましく聞こえました。弟子は再び度を失い、思わず隠していた頭を上げると、部屋の中はすっかり真っ暗になっており、師匠が弟子たちを呼び立てる声が苛立たしそうに響いていました。
やがて、弟子の一人が遠くの方で返事をし、灯をかざしながら急いでやって来ました。煤臭《すすくさ》い明かりで見ると、結燈台《ゆいとうだい》が倒れて床も畳も油だらけになっており、耳木兎が片方の翼だけ苦しそうにはためかせながら転げ回っていました。良秀は机の向こうで半ば体を起こしたまま、呆気にとられたような顔をして何やらぶつぶつ呟いていました。無理もありません。耳木兎の体には、まっ黒な蛇が一匹、首から片方の翼にかけてきりきりと巻きついていたのです。どうやら弟子が縮こまった拍子に壺をひっくり返し、中の蛇が這い出して耳木兎と絡み合ったために、この大騒ぎが起きたのでしょう。
二人の弟子は互いに目を見合わせ、しばらくこの不思議な光景をぼんやりと眺めていましたが、やがて師匠に黙礼をしてそっと部屋から出て行きました。蛇と耳木兎がその後どうなったのか、誰も知りません。
このような出来事は他にも数多くありました。地獄変の屏風を描くように命じられたのは秋の初めだったので、それ以来冬の終わりまで、良秀の弟子たちは常に師匠の怪しげな振る舞いに脅かされていました。その冬の末、良秀は屏風の絵で何かうまくいかないことがあったのでしょう。それまで以上に陰気になり、物言いも荒々しくなりました。同時に屏風の絵も下絵が八分通りできたままで進みませんでした。どうかすると今までに描いた部分さえ塗り消してしまいかねない様子でした。
しかし、屏風の何がうまくいかないのかは誰にもわかりません。弟子たちは、以前のいろいろな出来事に懲りて、まるで虎狼と同じ檻《おり》にいるような気持ちで、その後は師匠の身の回りにできるだけ近づかないようにしていました。
十二. 良秀の変化と娘の憂い
その間の出来事については、特に取り立てて申し上げるような話もありません。強いて申し上げるとすれば、あの強情な良秀が何故か妙に涙もろくなり、人がいない所では時々独りで泣いていたという話くらいでしょう。特にある日、何かの用事で弟子の一人が庭先に出た時、廊下に立ってぼんやり春の近い空を眺めている良秀の眼が涙でいっぱいになっていたそうです。弟子はそれを見て、反対にこちらが恥ずかしいような気がして、黙ってこっそり引き返したと言います。五趣生死《ごしゅしょうじ》の図を描くために道ばたの屍骸まで写したという傲慢なあの男が、屏風の絵が思うように描けない程度のことで子供のように泣き出すなどとは、随分異なことです。
一方、良秀がこのように夢中になって屏風の絵を描いている間に、娘がだんだんと気鬱になり、私たちにも涙を堪えている様子が見えるようになりました。もともと愁顔《うれいがお》の色白でつつましやかな女だったため、こうなると余計に寂しさが増して感じられました。最初は父思いのせいだとか、恋煩いをしているからだとか、いろいろな臆測が飛び交いましたが、中頃からは、大殿様が御意に従わせようとしているという評判が立ち始め、皆がその娘の噂をしなくなりました。
ちょうどその頃のことでした。ある夜、更けてから私が独りで廊下を通りかかると、あの猿の良秀が突然どこからか飛び出してきて、私の袴の裾をひっきりなしに引っ張るのです。確かにもう梅の香りが漂うような薄い月の光が差している暖かい夜でした。その明かりで猿を見ると、猿は真っ白な歯をむき出し、鼻の先に皺を寄せ、気が違わないばかりにけたたましく啼いていました。私は気味の悪さと新しい袴を引っ張られる腹立たしさが入り混じり、最初は猿を蹴り放して通り過ぎようかとも思いましたが、若殿様の御不興を買った侍の例も思い出し、猿の振る舞いがただ事ではないと感じました。
とうとう私は猿の引っ張る方へ五、六間歩きました。すると廊下が一曲がりし、夜目にも薄白い池の水が枝ぶりのやさしい松の向こうに広々と見える場所に差し掛かりました。その時、近くの部屋の中で人が争っているような気配が、慌ただしく、しかし妙にひっそりと私の耳に届きました。辺りは静まり返り、月明かりとも靄《もや》ともつかないものの中で、魚の跳ねる音だけが聞こえる中、この物音が耳に入りました。私は立ち止まり、もし狼藉者《ろうぜきもの》でもいたならば対処しようと、そっとその遣戸の外へ息をひそめながら身を寄せました。
十三. 良秀の娘との出会い
猿は私の動きがもどかしかったのでしょう。良秀は苛立った様子で二、三度私の足元を駆け回ったと思うと、咽《のど》を絞められたような声で鳴きながら、いきなり私の肩に飛び上がりました。私は思わず首を反らせ、その爪にかけられまいとしましたが、猿は水干《すいかん》の袖にかじりつき、私の体から滑り落ちまいとしていました。その拍子に、私は知らず知らずのうちに二、三歩よろめいて、その遣り戸に後ろから激しくぶつかりました。こうなってはもう一刻も躊躇している場合ではありません。私は矢庭に遣り戸を開け放し、月明かりの届かない奥の方へ飛び込もうとしました。
その時、私の眼に飛び込んできたのは——いや、それよりも驚かされたのは、その部屋の中から弾かれたように駆け出そうとした女の姿でした。女は出合い頭に危うく私にぶつかりそうになり、そのまま外へ転び出ましたが、何故かそこに膝をついて、息を切らしながら私の顔を恐ろしいものでも見るように震えながら見上げていました。それが良秀の娘だということは、わざわざ申し上げるまでもありません。
その晩の彼女は、まるで人が違ったように、生き生きと私の眼に映りました。眼は大きく輝き、頬も赤く燃えているようでした。そこにしどけなく乱れた袴や袿《うちぎ》が、いつもの幼さとは打って変わった艶やかさを添えています。これが本当にあの控え目で弱々しい良秀の娘なのでしょうか。私は遣り戸に身を支えながら、この月明かりの中にいる美しい娘の姿を眺めつつ、遠ざかる足音を指し示し、「誰ですか?」と静かに眼で尋ねました。
すると娘は唇を噛みながら黙って首を振りました。その様子が如何にも口惜しそうでした。そこで私は身をかがめて娘の耳元に口を寄せ、「誰ですか?」と小声で尋ねましたが、娘はやはり首を振るばかりで何も言いません。それどころか、長い睫毛《まつげ》の先に涙をため、前よりも緊《かた》く唇を噛みしめていました。
愚かな私には、それ以上何も理解できませんでした。だから私は言葉をかけることもできず、しばらくはただ、娘の胸の動悸に耳を澄ませるような気持ちでじっと立ち尽くしていました。それも一つには、これ以上問いただすのが悪いような気がしたからです。
どれくらいの時間が経ったかはわかりません。やがて明け放した遣り戸を閉めながら少し落ち着いた様子の娘を見返し、「もう曹司《そうし》へお帰りなさい」とできるだけ優しく言いました。そして私も何か見てはならないものを見たような不安な気持ちに駆られ、誰にともなく恥ずかしい思いをしながら、そっと元来た方へ歩き出しました。ところが十歩と歩かないうちに、誰かが私の袴の裾を後ろから恐る恐る引き止めるではありませんか。私は驚いて振り向きました。
それが何だったと思われますか?見ると、それは私の足元にいたあの猿の良秀が、人間のように両手をつき、黄金の鈴を鳴らしながら、何度も丁寧に頭を下げているのでした。
十四. 良秀の直訴
その晩の出来事があってから半月ほど経ったある日、良秀は突然御邸に参上し、大殿様に直《じき》にお目通りを願いました。卑しい身分の者ですが、日頃から大殿様の特別のご意向により、誰にでも容易に会わない大殿様が、この日も快く承知し、すぐに御前に召されました。良秀は例のごとく、香染めの狩衣《かりぎぬ》に萎えた烏帽子《えぼし》をかぶり、いつもより一層気難しげな顔をしながら、恭しく御前に平伏しました。そして嗄《しわが》れた声で申しました。
「兼ねてからお命じいただいておりました地獄変の屏風でございますが、日夜丹精を尽くして筆を執りました甲斐があり、もはやほぼ完成の段階に至りました。」
「それは目出度い。予も満足じゃ。」
しかし、大殿様の声には何故か妙に力がなく、張り合いのない感じがありました。
「いえ、それが一向に目出度くはございません。」良秀はやや腹立たしげな様子でじっと眼を伏せながら言いました。「ほぼ完成しておりますが、唯一つ、今もって私には描けない部分がございます。」
「何?描けない部分があるのか?」
「さようでございます。私は見たものでなければ描けません。見ても納得できないものは描けません。それでは描けたことになりません。」
これを聞くと、大殿様の顔には嘲るような微笑が浮かびました。
「では、地獄変の屏風を描こうとするなら、地獄を見なければならぬのか。」
「さようでございます。私は先年の大火事の際に、炎熱地獄の猛火にも似た火の手を目の当たりにしました。「よじり不動」の火焔を描いたのも、実はあの火事に遭ったからでございます。大殿様もあの絵をご存知でしょう。」
「しかし、罪人はどうだ。獄卒を見たことはあるまいな。」
大殿様はまるで良秀の言うことが耳に入らないような様子で、畳みかけるように尋ねました。
「私は鉄《くろがね》の鎖に縛られた者を見たことがあります。怪鳥に悩まされる者の姿も、詳細に写し取りました。ですから、罪人が呵責《かしゃく》に苦しむ様も知らぬとは言えません。また獄卒は——」と良秀は気味の悪い苦笑を漏らしながら続けました。「また獄卒は、夢うつつに何度となく私の目に映りました。牛頭《ごず》、馬頭《めず》、三面六臂《さんめんろっぴ》の鬼の姿が、音のしない手を叩き、声の出ない口を開いて私を虐《さいな》むのは、ほぼ毎日毎夜のことと言ってもよろしいでしょう。——私が描けないのは、そのようなものではありません。」
それには大殿様も流石に驚かれたのでしょう。しばらくはただ苛立たしげに良秀の顔を睨んでおられましたが、やがて眉を険しく動かしながら、
「では、何が描けないのだ。」と打ち捨てるように仰いました。
十五. 良秀の願い
「私は屏風の中央に、檳榔毛《びらうげ》の牛車が一輛、空から落ちて来るところを描こうと思っております。」良秀はこう言って、初めて鋭く大殿様の顔を見つめました。あの男が絵のこととなると気が狂ったようになるとは聞いていましたが、その時の目つきには確かに恐ろしさがありました。
「その車の中には、一人の艶やかな上﨟《じょうろう》が、猛火の中で黒髪を乱しながら悶え苦しんでいます。顔は煙に煙《むせ》びながら眉をひそめて、空を仰いでいるでしょう。手は下簾《したすだれ》を引きちぎって、降りかかる火の粉を防ごうとしているかもしれません。そしてその周りには、怪しげな鷙鳥《しちょう》が十羽も二十羽も嘴《くちばし》を鳴らして紛々と飛び回っているのです。——ああ、それが、その牛車の中の上﨟が、どうしても私には描けません。」
「それで——どうだというのか。」
大殿様はなぜか妙にうれしそうな顔で、良秀を促しました。良秀は例の赤い唇を熱でも出したように震わせながら、夢を見ているかのような調子で、
「それが私には描けません。」と、もう一度繰り返しましたが、突然噛みつくような勢いで、
「どうか檳榔毛の車を一輛、私の見ている前で、火をかけていただきとうございます。もしできるならば——」
大殿様は顔を暗くされたかと思うと、突然けたたましく笑い始めました。そしてその笑い声に息をつまらせながら、
「おお、万事その方が申す通りにいたしてやろう。できるできないの詮議は無益じゃ。」
私はその言葉を聞くと、虫の知らせか、何となく凄じい気がしました。実際、大殿様の様子もただならぬもので、口の端には白い泡がたまり、眉のあたりにはびくびくと電《いなづま》が走っているようでした。まるで良秀の狂気に染まったかのようでした。それが一言を切ると、すぐにまた何かがはぜたような勢いで、止めどなく喉を鳴らして笑いながら、
「檳榔毛の車にも火をかけよう。そしてその中には艶やかな女を一人、上﨟の装《よそおい》をさせて乗せてやろう。炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が悶え死ぬ——それを描こうと思いついたのは、さすが天下第一の絵師じゃ。褒めてやるぞ。」
大殿様の言葉を聞くと、良秀は急に色を失い、喘ぐようにただ唇を動かしていましたが、やがて体中の筋が緩んだようにべたりと畳に両手をつき、
「ありがたい仕合せでございます。」と、聞こえるか聞こえないかの低い声で、丁寧にお礼を申し上げました。これは大方、自分の考えていた恐ろしさが、大殿様の言葉によりありありと目の前に浮かんできたからでしょう。私は一生の中で唯一度、この時だけは良秀が気の毒に思われました。
十六. 雪解の御所での出来事
それから二、三日後の夜のことです。大殿様は約束通り、良秀を呼び寄せて檳榔毛《びらうげ》の車が燃える様子を見せました。これは堀河の御邸ではなく、俗に「雪解の御所」と呼ばれる、昔大殿様の妹君がいらっしゃった洛外の山荘で行われました。
この雪解の御所は長らく誰も住んでおらず、広い庭も荒れ放題でした。大方この人気のない様子から、妹君の死後に様々な噂が立ち、月のない夜には緋の色の袴を着た霊が地に足をつけずに廊下を歩くという話もありました。それも無理もありません。昼間でさえ寂しいこの御所は、日が暮れると遣《や》り水《みず》の音が一際陰に響き、星明かりに飛ぶ五位鷺も怪しげに見えるほど気味が悪い場所でした。
その夜も月のない暗い晩でしたが、大殿油《おおとのあぶら》の灯影で見ると、縁に近く座った大殿様は、浅黄の直衣《なおし》に濃い紫の浮紋の指貫《さしぬき》を着て、白地の錦の縁をとった円座《わらふだ》に高々と座っていました。その前後左右には側近の者が五、六人、恭しく居並んでいましたが、特に目立ったのは、陸奥の戦いで飢えて人の肉を食べて以来、鹿の生角《いきづの》さえ裂くようになったという強力《ごうりき》の侍が、腹巻を着こんだ容姿で、太刀を鴎尻《かもめじり》に佩《は》きながら縁の下に厳しく控えていたことです。灯の光で明るくなったり暗くなったりし、まるで夢現《ゆめうつつ》の境を分けるかのようで、ものすごく見えました。
さらに庭には檳榔毛の車が据えられ、高い車蓋《やかた》にのしりと暗《やみ》を抑え、牛をつけず黒い轅《ながえ》を斜にかけ、金物の黄金が星のようにちらちらと光っていました。春とはいえ肌寒さを感じました。車の内部は浮線綾の縁《ふち》を取った青い簾で重く封じ込められており、箱の中には何が入っているのかわかりません。その周りには仕丁たちが手に燃えさかる松明を持ち、煙が縁の方へ靡《なび》くのを気にしながら控えていました。
良秀は少し離れた場所に、縁の正面に跪いていました。いつもの香染めの狩衣に萎えた揉烏帽子をかぶり、星空の重みに圧されたかのように、いつもより小さく見すぼらしげに見えました。その後ろにはもう一人、同じような烏帽子と狩衣を着た人物が蹲《うずくま》っており、多分召し連れた弟子の一人でしょう。二人とも遠いうす暗がりの中に蹲っていたため、私のいた縁の下からは狩衣の色さえ定かには見えませんでした。
十七. 良秀の娘の運命
時刻はすでに真夜中に近かったでしょう。林泉を包む暗闇がひっそりと声を呑み、一同の息を窺うかのような静けさの中、かすかな夜風の音がして、松明《たいまつ》の煙がその度に煤臭い匂いを運んできました。大殿様はしばらく黙ってこの不思議な光景をじっと見つめていましたが、やがて膝を進めて、
「良秀」と鋭く呼びかけました。
良秀は何か返事をしたようですが、私の耳にはただ唸るような声しか聞こえませんでした。
「良秀。今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せてやろう。」
大殿様はそう仰ると、側近の者たちを流し眄《め》に見ました。その時、何か大殿様と側近の間に意味ありげな微笑が交わされたようにも見えましたが、これは私の気のせいかもしれません。すると良秀は恐る恐る頭を上げて御縁の上を仰いだようですが、やはり何も言わずに控えていました。
「よく見ろ。これは予が日頃乗る車じゃ。その方も覚えがあろう。——予はその車にこれから火をかけて、目のあたりに炎熱地獄を現出させるつもりじゃ。」
大殿様はまた言葉を止め、側近の者たちに目配せをしました。そして急に苦々しい調子で、
「その中には罪人の女房が一人、縛られたまま乗せてある。車に火をかけたら、必ずその女は肉を焼き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであろう。その方が屏風を仕上げるには、またとない良い手本じゃ。雪のような肌が燃え爛れるのを見逃すな。黒髪が火の粉になって舞い上がる様もよく見ておけ。」
大殿様は三度口を閉じましたが、何を思ったのか、今度はただ肩を揺すって声も立てずに笑い、
「末代までもない見物じゃ。予もここで見物しよう。それ、それ、簾《みす》を揚げて良秀に中の女を見せてやれ。」
仰せを聞くと仕丁の一人が片手に松明の火を高くかざしながら、つかつかと車に近づき、矢庭に片手を差し伸べて簾をさらりと揚げました。けたたましい音を立てて燃える松明の光は一瞬赤く揺らぎ、やがて狭い箱の中を鮮やかに照らし出しました。そこには鎖に縛られた女房が惨たらしく座っていました。きらびやかな繍《ぬい》のある桜の唐衣《からぎぬ》に艶やかな黒髪が垂れ、うち傾いた黄金の釵子《さいし》も美しく輝いて見えましたが、その小造りな体つき、色の白い頸《うなじ》、そしてあの寂しげな横顔は、良秀の娘に相違ありません。私は危うく叫び声を上げそうになりました。
その時、私と向かい合っていた侍は慌てて身を起こし、柄頭《つかがしら》を片手で押さえながら、きっと良秀を睨みました。驚いて見ると、良秀はこの光景に半ば正気を失ったようでした。蹲《うずくま》っていたのが急に飛び立つと、両手を前に伸ばしたまま車の方へ走りかけました。遠い影の中にいるため、顔の表情ははっきりと見えませんでしたが、色を失った良秀の顔は、まるで何か目に見えない力が宙に吊り上げたかのように浮かび上がりました。
その時、「火をかけい」と大殿様が命じると共に、仕丁たちが投げる松明の火を浴びて、娘を乗せた檳榔毛の車が炎々と燃え上がりました。
十八. 檳榔毛の車の炎
火はみるみるうちに車蓋《やかた》を包みました。庇《ひさし》についた紫の流蘇《ふさ》がさっと靡くと、その下から濛々と白い煙が渦を巻いて立ち上り、簾《すだれ》や袖、棟《むね》の金物《かなもの》が一斉に砕け散って、火の粉が雨のように舞い上がる様子は凄まじいものでした。烈々とした炎の色は、まるで日輪が地に落ち、天火《てんくわ》が迸《ほとばし》るような光景でした。前に叫び声を上げそうになった私も、今は全く魂《たましい》を消して、ただ茫然と口を開けながらこの恐ろしい光景を見守るしかありませんでした。しかし、良秀のその時の顔つきは今でも忘れられません。
良秀は車の方へ駆け寄ろうとしたものの、火が燃え上がると同時に足を止め、手を伸ばしたまま車を包む炎と煙を吸い込むように見つめていました。火の光で照らされた皺だらけの顔、見開かれた目、引き歪められた唇、絶えず引き攣《つ》る頬の震え——その表情には、良秀の心に交錯する恐れと悲しみと驚きがありありと現れていました。首を刎ねられる前の盗人や、十王の庁に引き出された罪人でも、これほどまでに苦しそうな顔をすることはないでしょう。これにはあの強力《ごうりき》の侍でさえ、思わず色を変えて畏《おそ》るおそる大殿様の顔を仰ぎました。
しかし、大殿様は緊《かた》く唇を噛みしめながら、時折気味悪く笑い、目を離さずに車の方を見つめていました。その車の中には——私はその時、車にどんな娘の姿を見たか、それを詳しく申し上げる勇気は到底ありません。煙に咽《むせ》んで仰向けた顔の白さ、炎に乱れる髪の長さ、桜の唐衣《からぎぬ》の美しさが見る間に火に変わる様子——何と惨《むご》たらしい光景だったでしょう。特に夜風が一吹きして煙が向こうへ靡《なび》いた時、赤い焔の中から浮き上がり、髪を口に噛みながら縛《いまし》めの鎖も切れるばかりに身悶えする様子は、まるで地獄の業苦を目の前に写し出したかのようで、私を始めとする強力の侍たちも身の毛がよだちました。
するとその夜風がまた一渡り、御庭の木々の梢を通り抜ける音がしたかと思うと、突然、何か黒いものが宙に躍りながら、御所の屋根から燃え盛る車の中へ一文字に飛び込みました。朱塗りの袖格子がばらばらと焼け落ちる中、のけ反った娘の肩を抱いて、鋭い声が苦しげに長く煙の外へ飛びました。続いて二声三声——私たちは我知らず「あっ」と声を上げました。炎の中で娘の肩に縋《すが》りついていたのは、堀河の御邸に繋がれていた良秀とあだ名される猿だったのです。猿がどうしてこの御所まで忍び込んできたのかは誰にもわかりませんが、日頃可愛がってくれた娘だからこそ、猿も一緒に火の中へ入ったのでしょう。
十九. 恍惚の良秀と恐怖の大殿様
猿の姿が見えたのはほんの一瞬のことでした。金梨子地《きんなしじ》のような火の粉が一斉に空へ舞い上がる中で、猿も娘の姿も黒煙の底に隠れてしまい、庭の中央にはただ一輛の火の車が凄まじい音を立てながら燃え沸いているだけでした。それはまるで火の車というより、星空を突く火柱のようでした。
その火柱の前に立ち尽くす良秀は、——何と不思議なことなのでしょうか。さっきまで地獄の責苦《せめく》に苦しんでいたような良秀が、今はまるで恍惚《こうこつ》とした法悦の輝きを浮かべ、大殿様の存在も忘れたかのように、両腕を胸にしっかりと組んで佇んでいるのです。その目には、娘の悶え死ぬ姿が映っていないようでした。ただ、美しい火焔の色と、その中で苦しむ女人の姿が限りなく心を悦ばせているように見えました。
しかも、不思議なのは良秀が一人娘の断末魔を嬉しそうに眺めていたことだけではありません。その時の良秀には、人間とは思えない、まるで夢に見る獅子王の怒りのような、怪しげな厳《おごそ》かさがありました。不意の火の手に驚いて啼き騒ぐ数知れない夜鳥でさえ、良秀の揉烏帽子《もみえぼし》の周りには近づきませんでした。おそらく無心の鳥の目にも、良秀の頭上に円光のごとく懸かっている不可思議な威厳が見えたのでしょう。
鳥でさえそうであれば、私たちや仕丁までも皆息をひそめながら、身の内も震えるばかりで、異様な随喜《ずいき》の心に満ち満ちて、まるで開眼《かいげん》の仏でも見るように良秀を見つめました。空一面に鳴り渡る車の火と、その火に魂を奪われて立ち尽くしている良秀と——何と荘厳な、何と歓喜の瞬間だったことでしょう。しかし、その中でただ一人、御縁の上の大殿様だけは、まるで別人かと思われるほど顔色が青ざめ、口元に泡をためながら、紫の指貫《さしぬき》の膝を両手でしっかりと掴み、まるで喉の渇いた獣のように喘《あえ》いでいました。
二十. 絵師・良秀の最後
その夜、雪解《ゆきげ》の御所で大殿様が車を焼いたことは、誰の口からともなく世間に漏れ、さまざまな批判が飛び交いました。まず第一に、多くの人が大殿様が良秀の娘を焼き殺した理由を、かなわぬ恋の恨みからだと噂しました。しかし、実際のところ大殿様の意図は、絵師である良秀の歪んだ根性を懲らしめるために、車を焼き人を殺してまで屏風の絵を完成させようとする彼の意欲を制することにあったのでしょう。実際、大殿様がそのようにおっしゃったのを私は聞いたことがあります。
また、良秀が目の前で娘を焼き殺されながらも、それでも屏風の絵を描きたいと願ったその冷酷な心持ちも批判の的となりました。中には彼を罵って、絵のために親子の情愛を忘れる人面獣心の曲者だと非難する者もいました。横川《よがわ》の僧都様などは、「いかに一芸一能に秀でようとも、人として五常をわきまえねば、地獄に堕ちる外はない」とよくおっしゃっていました。
その後一月ほど経って、ついに地獄変の屏風が完成すると、良秀は早速それを御邸に持参し、恭しく大殿様にお見せしました。ちょうどその時、僧都様も居合わせましたが、屏風の絵を一目見ると、その一帖の天地に吹き荒ぶ火の嵐の恐ろしさに驚嘆したのでしょう。苦い顔をして良秀を睨んでいた僧都様が、思わず膝を打って「出かし居った」とおっしゃいました。この言葉を聞いて大殿様が苦笑された時の様子も、今でも私は忘れられません。
それ以来、良秀を悪く言う者は、少なくとも御邸の中ではほとんどいなくなりました。誰もがその屏風を見ると、日頃良秀を憎んでいても、厳かな心持ちに打たれて炎熱地獄の大苦艱《だいくげん》を如実に感じたからでしょう。
しかし、その頃には良秀はもうこの世にはいませんでした。屏風が完成した次の夜に、自分の部屋の梁に縄をかけて首を吊って死んだのです。一人娘を失った彼は、安閑として生きながらえることに耐えられなかったのでしょう。彼の遺体は今でも彼の家の跡地に埋まっており、小さな標石は、その後何十年かの雨風にさらされて、今では誰の墓とも知れないように苔むしているに違いありません。
完