蜘蛛の糸 [新訳版]

パブリックドメイン小説

作品データ

作品名:蜘蛛の糸
作品名読み: くものいと
著者名: 芥川 龍之介
初出:「赤い鳥」1918(大正7)年7月
原作:青空文庫『蜘蛛の糸』

本の難易度:★★★☆☆
読了目安時間:10分

本文

本作品は原作を読みやすいように改編したものになります。

蜘蛛の糸

 ある日のことです。お釈迦様は極楽の蓮池のほとりを、一人でぶらぶらと歩いていました。池の中には真っ白な蓮の花が咲いていて、金色の花の中心からは何とも言えない良い香りが絶え間なく漂っています。極楽はちょうど朝のようです。

 やがてお釈迦様は蓮池のほとりに立ち、水面を覆っている蓮の葉の間からふと下の様子を見ました。この極楽の蓮池の下はちょうど地獄の底になっていて、水晶のような水を通して、三途の川や針の山の景色が、まるで覗き眼鏡で見るようにはっきりと見えます。

 するとその地獄の底に、カンダタという男が他の罪人たちと一緒にうごめいているのが目に入りました。カンダタは、人を殺したり家に火をつけたり、さまざまな悪事を働いた大泥棒ですが、一度だけ良いことをしたことがありました。ある時、彼が深い森の中を通りかかると、小さな蜘蛛が道端を這っているのを見つけました。カンダタは足を上げて踏み殺そうとしましたが、「いや、これも小さな命だ。無闇に取るのは可哀そうだ」と思い直し、蜘蛛を殺さずに助けてやりました。

 お釈迦様は地獄の様子を見ながら、このカンダタが蜘蛛を助けたことを思い出し、その報いに彼を地獄から救い出そうと考えました。ちょうど側を見ると、極楽の蜘蛛が美しい銀色の糸をかけていました。お釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと手に取り、白い蓮の花の間から地獄の底へまっすぐに垂らしました。

 一方、地獄の底では、カンダタが他の罪人たちと一緒に血の池で浮いたり沈んだりしていました。どこを見ても真っ暗で、時々暗闇からぼんやりと光るものがありましたが、それは恐ろしい針の山でした。周りは墓の中のように静まり返っていて、たまに聞こえるのは罪人たちのかすかな嘆息ばかりです。ここへ落ちてくるほどの罪人は、さまざまな地獄の責め苦に疲れ果てて、泣く力も残っていないのです。カンダタも血の池に咽びながら、まるで死にかけたカエルのようにもがいていました。

 ところが、ある時カンダタが何気なく空を見上げると、遠い天から銀色の蜘蛛の糸が一筋細く光りながら垂れてくるのが見えました。カンダタはこれを見て、思わず手を叩いて喜びました。この糸に掴まって登れば、地獄から抜け出せるかもしれません。いや、うまくいけば極楽に入ることもできるでしょう。そうすれば、針の山に追い上げられたり、血の池に沈められることもなくなります。

 カンダタは早速その蜘蛛の糸を両手でしっかり掴み、一生懸命上へ上へと登り始めました。元々大泥棒なので、こういうことには慣れています。しかし、地獄と極楽の間は非常に遠く、簡単には登りきれません。しばらく登るうちにカンダタも疲れてしまい、糸の途中にぶら下がりながら下を見下ろしました。

 すると、一生懸命登った甲斐があって、さっきまでいた血の池は今では暗闇の底に隠れています。あのぼんやり光っている恐ろしい針の山も足の下に見えます。このまま登れば、地獄から抜け出すのも意外に簡単かもしれません。カンダタは両手を蜘蛛の糸に絡ませながら、ここへ来て何年も出していないような声で「しめた、しめた」と笑いました。ところがふと気づくと、蜘蛛の糸の下の方には数えきれない罪人たちが、カンダタの後をつけて蟻の行列のように登ってくるではありませんか。

 カンダタはこれを見て驚き、恐怖に震えました。この細い蜘蛛の糸がどうしてあれだけの人数の重みを支えられるでしょうか。もし途中で切れたら、自分も地獄に逆戻りです。カンダタは大きな声で「こら、罪人ども!この蜘蛛の糸は俺のものだ。お前たちは登るな!」と叫びました。

 その途端、今までなんともなかった蜘蛛の糸はカンダタのぶら下がっているところからぷつりと音を立てて切れました。カンダタは風を切ってコマのように回りながら、あっという間に暗闇の底へ真っ逆さまに落ちてしまいました。残っているのは極楽の蜘蛛の糸がきらきらと光りながら、空中に短く垂れているだけです。

 お釈迦様は極楽の蓮池のほとりに立ってこの一部始終をじっと見ていましたが、カンダタが地獄の底へ落ちてしまうと、悲しそうな顔をしてまた歩き始めました。自分だけ地獄から抜け出そうとしたカンダタの無慈悲な心が、彼を元の地獄へ戻してしまったのです。しかし、極楽の蓮の花はそんなことには関係なく、美しい香りを漂わせていました。極楽はもう昼近くになっていました。

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